サイト管理人経歴

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1991.10~1995.3
父の仕事の関係で小学6年生の10月から中学卒業まで3年半香港日本人学校で過ごす。

1995.4
京都の私立高校入学。海外で3年半も過ごしたにもかかわらず香港の日本人社会で生活を送っていたので、帰国子女でありながら外国語ができず、『帰国子女なら外国語でしゃべってよ』と言われるのが嫌で外国語ができないことがコンプレックスとなる。高校時代は3年間陸上部に所属し、全国インターハイ出場を夢見て頑張るが、平凡なランナーで終わる。

1998.4
京都の私立大学に入学。

在学中に留学したいと考え、交換留学を目指し、TOEFLの勉強を頑張るも基準点に届かず交換留学をあきらめる。
留学生のボランティアスタッフとして知り合った2人の中国人がたまたま大連外国語学院の出身で良い学校だと勧められる。外国語に対するコンプレックスを晴らすため、知り合った中国人をより知るためには自分が中国語を話す必要があると思い大学3年を修了した時点で休学し留学を決意。

2001.2-2002.1
大連学国語学院へ中国語の勉強のため語学留学。

日本人社会に入ってしまうと、また語学を身につけることが出来ないと思い、始めからできる限り日本人との交流を避け、中国語のみでの生活に入る。
クラスメートで交流した数少ない日本人の1人の元大手商社専務よりビジネスで中国語を使うには1年で帰国するのはもったいないので、ここまで頑張ったのならあと1年勉強した方がいいとアドバイスを受け留学を1年延長。

2002.2-2002.7
東北財経大学へ転校。
中国語で経済も学んだ方がよいと思ったが良い先生ともめぐり合えず、作戦失敗。
唯一ここの学校に来てよかったのは今でも友達のタイ人と友達になった事。

2002.9-2002.12
遼寧師範大学へ転校。
再度中国語に集中して勉強。

2003.1-2003.3
オーストラリア国立クイーンズランド大学へ英語のブラッシュアップのため語学留学。

2003.4-2004.3
大学へ復学。就職活動に出遅れ苦労したが2社より内定を頂き、大学も無事卒業。

2004.8.21
営業マンとして落ちこぼれ、将来性もないので退社。中小企業の事務職として再出発。

敗者復活するため、がむしゃらに頑張った結果、社内で高い評価を頂き、中国(中国語)、インド・ブラジル(英語)の貿易業務、経営企画室のメンバーに抜擢され、人事制度改定、組織再編、賃金制度改定等の業務を経験。


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